今の日本でも、部落出身者並みの攻撃性を蓄えている人間はまだ少ないが、
部落並みの幼稚さに陥ってしまっている人間は、ほぼほとんどに上ってしまっている。
「相手を傷つけられれば勝ち、自分が傷つけられたら負け」というような、
2CHあたりで常套とされている感覚も部落と同等のものであり、さすがにそれを遠ざけようと
するものは今でも多いが、大手マスメディアなどで取り沙汰される近代芸能の幼稚さを
公然のものとして認めていない日本人は、ほぼ皆無。本当は近代芸能の幼稚さも、
かつては部落などにのみ特有だったものであり、だからこそ芸能人にも部落出身者が多い。
江戸時代までは、それこそが総体的に廃絶されていた。部落並みの攻撃性だけでなく、
精神的な幼稚さまでもが排除されていたものだから、その幼稚さに染まりきってしまって
いる今の日本人などにも、江戸以前の日本が全くの別次元のように感じられる。
江戸以前の日本人の毅然さこそは、部落級の幼稚さを差別の対象としていたからこそ
育まれていたものであり、決して血みどろの殺伐さを善しとしていたからではない。
切り合いで血だらけと化した場所にはなるべく立ち入らないでいようとする慣習が武家に
あったことが、元禄赤穂事件の記録などからも分かっていて、血みどろの殺伐さもむしろ
部落差別の撤廃によってこそ解放されてしまったところがある。もしもこれから部落や商家
への差別を再開するというのであれば、血みどろの殺伐さが復活することなどではなく、部落や
商家に特有の小学生並みの幼稚さこそが排除されていくことになるのを覚悟しなければならない。
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