>>15 その言葉は元々三島が書いていることじゃない?
「私が太宰治の文学に対して抱いている嫌悪は、一種猛烈なものだ。
第一私はこの人の顔がきらいだ。第二にこの人の田舎者のハイカラ趣味がきらいだ。
第三にこの人が、自分に適しない役を演じたのがきらいだ。
女と心中したりする小説家は、もう少し厳粛な風貌をしていなければならない。
私とて、作家にとっては、弱点だけが最大の強みになることぐらい知っている。
しかし弱点をそのまま強みへもってゆこうとする操作は、私には自己欺瞞に思われる。
どうにもならない自分を信じるということは、あらゆる点で、人間として僭越なことだ。
ましてそれを人に押しつけるにいたっては!
太宰のもっていた性格的欠点は、少なくともその半分が、
冷水摩擦や器械体操や規則的な生活で治される筈だった。
生活で解決すべきことに芸術を煩わしてはならないのだ。
いささか逆説を弄すると、治りたがらない病人などには本当の病人の資格がない。」
三島著 『小説家の休暇』より
しかし、後にこうも言っている。
1968年に行われた一橋大学でのティーチ・インで
「私は太宰とますます対照的な方向に向かっているようなわけですけど、
おそらくどこか自分の根底に太宰と触れるところがあるからだろうと思う。
だからこそ反発するし、だからこそ逆の方に行くのでしょうね」
(「学生とのティーチ・イン 国家革新の原理」)
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