芥川龍之介 「歯車」


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001 2011/01/31(月) 21:25:20 ID:GbRAYaJDRQ
「僕」と語る主人公がレエン・コオトを着た幽霊の話を耳にする。特に気にしないでいたものの、
その後事あるごとにレエン・コオトが現れ、「僕」を悩ませる。
後になって、このレエン・コオトは義兄・西川豊が轢死したとき身に着けていたことを知る。
僕」は表面上はごく自然に振る舞っているが、奇妙な暗示と符合はレエン・コオトのみに留まらず、
赤光、黄色いタクシー、黒と白、もぐらもち、翼、火事、復讐の神などが繰り返し現れる。
やがて視界には半透明の歯車が回りだし、その数を増し、あとから激しい頭痛に襲われる。
「僕」がそれらの不可解な暗示を恐れ、心理的な迷路の中でさまよい、もがき苦しむ様子が淡々とした語り口で描かれている。

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016 2011/03/24(木) 15:08:26 ID:98.D7il/ns
>>15
三島だね。

確かに運動しちゃえば吹き飛んだかもしれないね。
けど、ああいう感じでいるのが本人達は好きなんだよ。
芥川は崩れて行く自分を冷徹に見つめる目があったから作品に昇華できたんだと思う。

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017 2011/03/24(木) 17:22:04 ID:qZOb/c/gsk
しかし、なんで作家は崩れて行く人が多いのかね?
五木寛之に言わせると、それだけ辛い仕事だという話なんだが。
けど逆じゃないか?
もともと崩れて行く資質を持った人が、単に作家という職業を選択した気がするんだが。
でも勇気を持ってそういう苦悩と立ち向かう作家も存在するんだよ。
俺としては、そういう人に魅力を感じる。

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018 2011/03/25(金) 00:58:36 ID:uGZAP8SQ9c
>>15,16

運動すれば吹きとぶなんて、それこそ三島の文学を馬鹿にしてる。

三島は兵役に落ちた肉体的コンプレックスを肉体で表現しようとして
結局精神的な終息をもとめたわけですし、
プラトン哲学のように肉体を一つのプロセスとは考えた割に、
それには表層的な伝達手段以上の固執をしていない。

金閣寺なんてまさにその象徴だと思うし、海外ブランドに拘った晩年はその逆説。


翻って芥川なんかはウパニシャッドな空気を勉強してるから
この世の苦界を理性的に理解してるし、自殺も肯定してる(自活)。

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019 2011/03/25(金) 01:34:25 ID:oZfv7QK30s
>>18
俺は三島の文学なんぞ興味はない。少し読んで止めた。
ってか、文学その物に興味がない。お前さんの小難しい理屈もどうでもいい。
ただ、三島の生きる姿勢は脱帽する。
ホモだの右翼だの切腹だのは関知しない。彼を素晴らしいと感じる部分は、理屈だけで終わらせようとせず、きちんと行動で示す所だ。

だいたい「薄っぺらな苦悩なんぞウエイトトレーニングでもすりゃあ吹き飛ぶ」と書いたのは、俺が三島信者だからではない。
丸山健二先生の言葉であり、生きる姿勢だからだ。
知らなければぐぐれ。

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020 2011/03/25(金) 01:52:39 ID:uGZAP8SQ9c
>>19
ここは本板なんであえて書くけど、
文学者に文学性求めなくてどーすんの!?
「イチローは打率2割でいい。人間性が好きだから。」
「メッシのプレイは知らないけど人間として好き」
ってのがいろんな意味で崩壊してるように、
三島の生い立ちやそれに立脚した文学性無くして
「三島の生き方がいい」って、そりゃアイドル見て「彼女は性格が良い」
っていうようなもんだよ。

っていうか、三島の生き方がいいってなら
代表作何作かくらい読めよお。まじで。
文学者の文学読んでなくて、何がわかるの?

これ、煽りでも自己顕示欲でもなくて、懇願。懇願。

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021 2011/03/25(金) 07:10:49 ID:oZfv7QK30s
>>20
言われて目が覚めた。
ここは本板だった・・・
私が悪うございました。

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022 2011/03/25(金) 15:24:55 ID:EghjKpmdgw
>>15

その言葉は元々三島が書いていることじゃない?

「私が太宰治の文学に対して抱いている嫌悪は、一種猛烈なものだ。
第一私はこの人の顔がきらいだ。第二にこの人の田舎者のハイカラ趣味がきらいだ。
第三にこの人が、自分に適しない役を演じたのがきらいだ。
女と心中したりする小説家は、もう少し厳粛な風貌をしていなければならない。

 私とて、作家にとっては、弱点だけが最大の強みになることぐらい知っている。
しかし弱点をそのまま強みへもってゆこうとする操作は、私には自己欺瞞に思われる。
どうにもならない自分を信じるということは、あらゆる点で、人間として僭越なことだ。
ましてそれを人に押しつけるにいたっては!

 太宰のもっていた性格的欠点は、少なくともその半分が、
冷水摩擦や器械体操や規則的な生活で治される筈だった。
生活で解決すべきことに芸術を煩わしてはならないのだ。
いささか逆説を弄すると、治りたがらない病人などには本当の病人の資格がない。」

三島著 『小説家の休暇』より


しかし、後にこうも言っている。

1968年に行われた一橋大学でのティーチ・インで
「私は太宰とますます対照的な方向に向かっているようなわけですけど、
おそらくどこか自分の根底に太宰と触れるところがあるからだろうと思う。
だからこそ反発するし、だからこそ逆の方に行くのでしょうね」
(「学生とのティーチ・イン 国家革新の原理」)

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023 2011/03/25(金) 16:35:23 ID:oZfv7QK30s
>>22
まあ元々は三島の言葉なんだろね。
三島自身が、「俺の根っこは太宰と似た所がある」とは聞いた事がある。
太宰にそう指摘されたという説もあるみたいだが。
そして俺だって誰だって、大なり小なり太宰的な女々しさを持っているだろね。
だが俺は嫌だ!弱いままで自分に甘え、進歩のないまま人生を過すのは耐えられない。
いつ辿り着くか知れない禅問答かもしれないし、強くなりたいという悪あがきだけで人生を浪費してしまうかもしれん。
実際、俺の人生は今までそうだった。
だが、俺にはそれしかないんだよ。

ちなみに丸山健二先生は、「自分の能力を超えた言葉にすがり付くのは危険だ」と言っている。
弱い人間が頑張りすぎて自分を追い詰めると、しまいには切腹しか選択肢がなくなるんだろね。
そこらへんを用心せにゃいかんな・・・

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024 2011/04/10(日) 07:28:21 ID:aLEBmA.yyY
結局、芥川も太宰も三島もナルシシズムの反動でああなってしまった様な気が。

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